忍者ブログ
読書の記録です。

「ぼくのメジャースプーン」

辻村美月/講談社

小学校で飼っていたうさぎが、何者かによって殺された。幼なじみのふみちゃんは、ショックのあまりに全ての感情を封じ込めたまま。ぼくは、うさぎ殺しの犯人に与える罰の重さを計り始める。ぼくが最後に選んだ答え、そして正義の行方とは。

人が人の罪を裁く。やってもいいじゃんって思ってました。法で裁くなんて生ぬるい。自分が殺した方法で、犯人を死刑にしてしまえばいいと。しかし、はたと気付いたのです。
それ、誰がやるの?
死刑の執行人か。被害者の家族か。恋人か。友人か。・・・うーん、結局また被害者と加害者が生まれるだけなんですよね。我ながら浅はかな考えでした。
主人公のぼくは、うさぎを殺してふみちゃんの心を壊した犯人を許せなかった。というよりも、彼が、自分がしたことで苦しんだ人間が何人もいたことを知らないまま、これから先の人生をのうのうと生きていくことが我慢ならなかったのでしょうな。犯人に罰を与えたって、ふみちゃんは戻って来ない。ただ、自分の手を汚すだけ。こんな力が無ければ復讐など実現しなかったのに。でも力があったから罰を与えることができる。本当に葛藤という言葉がぴったりで、ぼくがどのようにして自分の力と折り合いをつけて、そして事件に対してどのような答えを出すのか、一緒に考えさせられました。深いなあ。
ふみちゃんは、「凍りのくじら」に。秋先生と元ゼミの学生は「子どもたちは夜と遊ぶ」に登場していたような・・・。めんどくさくて確認をとっていないのですが。今作では、ぼくがどのようにして自分の力と向き合い、そして犯人との決着をつけるのかという心の動きに重点を置いていました。辻村さんの作品って、もともと内面がすごく繊細に描かれていると思うのですが、今回は特に主人公が子どもということもあり、行ったり来たりの不安定な感情が良く描かれていたと思います。主人公ももちろんですが、心を閉ざしたふみちゃんの細かな変化が良い。反応は無いけれど、言葉や思いはちゃんと届いているんですよね。
動物を殺しても、器物損壊の罪にしかならないって知った時、私もショックを受けたことを覚えています。確かに動物は人間とは違うし、じゃあ虫を殺すのと何が違うの?と聞かれれば、それは大きさや愛着の違いだけだと答えるしかない。いたぶって快楽を覚えるために殺すのと、邪魔だからと無意識にティッシュでつまんで捨てるのと、どちらがより残酷なのだろうか。


PR