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読書の記録です。

「太陽の坐る場所」

辻村深月/文藝春秋

高校卒業から10年。クラス会に集まった男女の話題は、女優になったクラスメートの「キョウコ」。彼女を次のクラス会へ呼び出そうともくろむが、「キョウコ」と向かい合うことで思い出される、高校時代の「幼く、罪深かった」出来事。

ふふん、お主の手の内はわかっておるわ!
・・・という心構えで読んだ本。期待を裏切らないオチでした。笑。辻村さんは叙述トリックが好みなのかな?ただ、今回は当たり前のことながら、読んでいると人物像にズレが生じるので、わかりやすいと言えばわかりやすい。でも、どっちがどっちかを考え出すと少々混乱気味に。
今回は、物語に浸れなかったな~。私は、彼らと同年代ですが、高校時代のことにこんなに人生振り回されていないもんで。さらに、私の高校時代、地味でしたからー。紗江子ポジションだな。
天の岩戸に閉じこもるアマテラスのように、同窓会に一度も出席しないキョウコを引っ張り出すべく、同窓会常連組みが動きますが、彼女に会った者から企画を降りていく。自由になれたんだなあ、と思った。同窓会はいいものだけど、無意識の内に何かの義務感にかられていたんだなーと。真崎くんは、章立てもしてもらえず、かわいそうかなと思ったけど、小物には小物の扱いってことかーと納得。
リンちゃんは、確かに同性から見ても、考え方の筋が通っていてかっこいい。しかし、私の内の妬み根性が頭をもたげる・・・!というのもあるし、すべてを見透かすような、リンちゃんの人間離れした洞察力は、私には少し恐かった。そのため、響子の方に肩入れしてたかなあ。確かに、やったことはひどいんだけど、自分の好きなようにする代わりに、しっぺ返しもきちんと受け止める。毅然とした態度も、これまたかっこいい。最後に、リンちゃんが頬を膨らませるところは、人間臭くて少しほっとした。
おそらく、彼らは2度と会うことが無いのだろう。そう予感していても、何十年後かに、また彼らの道が交わればいいなあと思わずにはいられない。


「いつか、私は自由になるだろうか。誰も私を縛らず、どこにも囚われることもない。扉は私の内にこそあり、そしてまた、私の内にしかない。」


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