忍者ブログ
読書の記録です。

「光待つ場所へ」

辻村深月/講談社

清水あやめは、田辺颯也が製作した三分間のフィルムに、生まれて初めて圧倒的な敗北感を味わう。「私は何になりたいのだろう。どこへ行きたいのだろう」やるせない感情に襲われた彼女の耳に飛び込んだのは、底抜けに明るい田辺の声だった。(「しあわせのこみち」)恥ずかしさと、息苦しさと、駆け出したくなるような衝動。あの頃のすべてが詰まった、傑作青春小説全4編を収録。

スピンオフだらけだと知っていたら、読まなかったのに・・・!
一番最初の本を読んだのが、いつか思いだせない・・・。しかも、内容も良く覚えてないのに、登場人物なんか覚えてねーよ!(逆ギレ)ファンの人にとっては嬉しいと思います。過去の自分の感想も、例によっておおざっぱで、何の役にも立たないという・・・。
「しあわせのこみち」「冷たい校舎の~」から、清水あやめと鷹野博嗣。絵に絶対の自信を持つ清水あやめは、大学の授業で制作した課題で初めて敗北感を味わう。才能のあるなしをジャッジするのは、本人ではなく他人(もしくは世間)なので、自分や近しい友人とあーだこーだ言ってもね・・・と思ったり。っていうか、改心すべきは田辺では?あのさあ、自分は絵のレベルが上すぎて釣り合わないから誘われても個展はできないし、彼らもそれを理解してくれているとか言ってるけどさあ、何言っちゃってんの?って感じ。もしかしたら、「美大に入る覚悟の無いヤツが、ちょっと賞とったからってイキがってるわ。エラそうな顔すんのも、それでメシ食ってからにしろや。」と思う人が1人や2人いないとも限らないのでは?本筋とは関係ないけど、鷹野って人に胡散臭さを感じる自分は歪んでいるなあと思った。
「アスファルト」同じく「冷たい校舎の~」から藤元昭彦。さらに覚えていない人物が登場。傷心旅行?人間嫌いと公言している人に限って、寂しがりやという法則。
「チハラトーコの物語」「スロウハイツの神様」加々美莉々亜と赤羽環。赤羽さんは覚えていた!けど、あまりいい印象がない・・・。チハラトーコがいかにして嘘つきになったかという話。自分はそんじょそこらの嘘つきとは違って、プロの嘘つきを自負(自慢することか?)する彼女。彼女の嘘に対する責任が「絶対に嘘と認めないこと」。???。嘘をつきまくる時点で誠意はないんだけど、カケラでも誠意があれば、ごめんなさいって謝ることが責任なんじゃないの?あと、嘘をついて人の関心を得ること自体、他人の気持ちを買っていて、その人を裏切っているということになるんだから、人を傷つけない嘘っていう理論もおかしい。全体的に意味がわからなかった。
「樹氷の街」「ぼくのメジャースプーン」「凍りのくじら」からたくさん登場。松永くんと理帆子さんは覚えていた。「子どもたちは夜と遊ぶ」「名前探しの放課後」にも登場しているようです。この辺はキライじゃなかったので、読み返してみるのもいいかもしれない。倉田さんはどうにも好きになれなかったけど、みんなで頑張るのっていいですね。クラス行事嫌いだったから、みんな一生懸命でえらいなあと思ってました。郁也くんと多恵さんのからみがかわいいー。理帆子さんが生き生きしていて、すっごく良かった!「凍りのくじら」では、めっちゃ苦しんでたし・・・。過去の自分は、ふみちゃんのことを気に入ってたみたいですが、このふみちゃんはなんだか好きになれなかった。なんでだろ・・・。
良くも悪くも、辻村ワールドには選民思想を持った登場人物が多いなと思いました。辻村さんの「イケてる」っていまいち良くわからん・・・。


PR