「九つの、物語」
もう1度取り戻せるだろうか。失ってしまった、大切な人を。見えなくなった、自分の心を。繊細で壊れやすい心に響く、9つの物語。
ある日、死んだはずのお兄ちゃんが帰ってきた。実体はあるし、姿を消したり現したりすることは自由にできるらしい。だんだんと私の日常にお兄ちゃんの存在が戻ってきた。しかし、いつか、お兄ちゃんはどこかへ行ってしまうのだ。
私、ことゆきなは、兄の部屋にある文庫本を持ち出して読んでいる。本の題名が章の題名になり、その物語のテーマとなっている。ゆきなの心情にマッチした組み込み方で、この自然さが上手だなあと思います。残念ながら、1つも読んだことがない、日本文学の作品が多いようで・・・。こういうジャンルを読んでる人って、無条件に頭が良いというか、すごい感受性なんだなあと先入観で思ってしまいます。
プレイボーイタイプの兄と、硬派な香月君。対照的な2人の男性が出てきますが、2人ともゆきなには誠実で、そんな男性に恵まれている彼女がうらやましかった。特に、香月君との関係は、本当に恋人という言葉がしっくりくる雰囲気でした。フレッシュな香り・・・。ゆきなが、成り行きで合コンに参加してしまったり。それを許せない香月君なんか、もう、若いじゃないですか!
浮き草みたいな兄と、家を空けている両親。家族って、ばらばらなんだけど、ひとつで、理屈ではなく良く理解できる部分があるんだなあと思った。逆に、不可解な部分もいっぱいあるんだろうけど。ゆきなの両親の関係なんか特にそうだと思う。夫婦のことは、子供にはわからんのです。
お兄ちゃんは、霊体なだけに、成仏するのがキレイな終わり方かな~と思っていました。しかし、本当に「らしい」成仏の仕方で良かったです。
以下、覚書で本の題名を~。いつか読む日が来るのかな。
「糸婁紅新草」(泉鏡花)「待つ」(太宰治)「蒲団」(田山花袋)「あぢさゐ」(永井荷風)「ノラや」(内田百けん)「山椒魚」(井伏鱒二)「わかれ道」(樋口一葉)「コネティカットのひょこひょこおじさん」(J.D.サリンジャー)
「食べてみないとわからないなんて、まるで人生みたいじゃないか。この料理を作るたび、あるいは食べるたび、そういうことを思い出す。実に素晴らしい。しょせんはトマトスパゲティだから、なにかを入れすぎても、そこそこおいしくできるんだ。ほら、それもまた、人生みたいだろう」
PR