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読書の記録です。

「豆腐小僧双六道中ふりだし」

京極夏彦/講談社

妖怪豆腐小僧が自分探しの旅へ。「なぜ、手前は豆腐を持っているんでしょうか?」自己の存在意義に不安を抱く小さな妖怪が数々の異種妖怪に出会い「世間」を知るふりだし篇。

装丁が正方形の分厚い本で、本自体が豆腐っぽい形にも見えます。すいすい、というわけにはいかなかったけれど、厚さの割にはスムーズに読めたのではないかと思います。
妖怪といえば、「ゲゲゲの鬼太郎」を思い出しますが、はて怪談に出てくるのは妖怪かしら?と迷ったりしました。墓場に出るのは幽霊だよねえ。妖怪と幽霊の違いについても触れられつつ、そもそも妖怪とはなんぞや?という疑問に、京極さんの見解を披露されています。ベースは、「妖怪は人間ありきの存在である」ということ。人間が妖怪を思い浮かべなければ、妖怪はそこに存在することはできない。妖怪が自在に考え、行動しているのではなくて、人間が感じたように姿を現し、そして人間がその存在を感じなくなれば、消えてゆくものなんです。人間には触れられないし、障害物を動かすことも出来ない。扉を自分で開けることもできない。不便!「ゲゲゲの鬼太郎」なんかだと、結構おもしろおかしく自由気ままにやってるぜ感があったような気がするのですが、こちらでは、なんか縛りが多くて大変だなあ・・・。
主人公・豆腐小僧は、紅葉豆腐を持ってうろうろしているだけの妖怪。逢引中の若旦那が感得したため出現し、それまでの記憶?自我?みたいなものがなく、まっさらな状態。自分とは何者か?様々な妖怪たちと出会い、その断片をかき集めてゆくのです。滑稽達磨と後半登場する袖引き小僧との掛け合いがおもしろい!達磨先生、面倒見のいい妖怪だなあ・・・。
人間界の方では、武士たちが不穏な動きを見せ、それと連動するように妖怪たちの間では狸が良からぬ企みを実行に移そうとしているところ。狐と狸の化かしあいならぬ、いがみあい。あんまり違いについて感じたことはなかったけれど、確かに狐がお稲荷さんな一方で、狸はノーブランドな感じがする!とにかく、妖怪にも色々な解釈があって複雑ですね。人はなんだか良くわからないけれど怖い、という感情を乗り越えることはできない。だからこそ、その怖いという感情に妖怪という形を与えることで感情をコントロールする術を身につけてきたのだそうです。しかし、豆腐小僧はそういった恐怖の感情から生まれたものではなく、そのため消えることもない、妖怪の完成形のような存在。その答を得て、豆腐小僧、次はどこへ向かうのか。映画化か。3Dか。


「見ろ。あさましい。暴力の、争いごとの如何に無意味なことか。」


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