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読書の記録です。

「絡新婦の理」

京極夏彦/講談社

房総の女学校・聖ベルナール学院の生徒・呉美由紀は校内に潜む背徳の行為と信仰を知って戦慄する。連続目潰し魔に両目を抉られた教師・山本純子は呪われて死んだのか。そしてもう一人、教師の本田幸三が絞殺され、親友・渡辺小夜子が眼前で校舎から身を投じた

久しぶりの京極さん。京極堂シリーズじゃなくて、百鬼夜行シリーズなんですって。知りませんでした。シリーズなのに、途切れ途切れのペースで読んでいるため、毎回記憶がリセットされています。今まであんまり不便を感じなかったのですが、今回は「これ誰?」が多すぎて反省しました・・・。主要メンバーの4人(関口先生、京極堂、木場修、榎さん)くらいはさすがに覚えてましたが、敦子さん(京極堂の妹)や鳥口くん、伊佐間なんかからっきしでした。あんなに分厚い本を読んだのに全然覚えてないなんて、空しいですね・・・。
しかし「これ誰?」と思いながらも、楽しく読めました。シリーズ中、おもしろい部類に入ると思います。榎さんの出番も多いし。2つの事件を主軸に、関係者が錯綜し、やがて大きなひとつの絵が描き出されるのです。ひとつは、聖ベルナール学院を主な舞台とする連続目潰し魔。そしてもうひとつは、千葉近郊から広がる絞殺魔。関連性がないように思われた二つの事件だが、織作家を媒介に同じ背景を持つ事件であることが判明する。事件を裏で操っている真犯人がいるのだ。
この巧妙に張り巡らされた伏線を、京極堂は蜘蛛の巣にたとえる。動き出した事件は止めることができず、自らも駒の一部であると京極堂は語る。憑物落としは事件を収束させるのではなく、かえって結末を早めかもしれないとしつつ、依頼を受けることになります。結果的に、早めただけになってしまったのは残念でしたが・・・。
今回は、冒頭が犯人との対話から始まっており、犯人は女性であるという点はハッキリしていました。そこで、織作家の姉妹のうちの誰かが犯人やなとそこまでは当たりがついたのですが・・・。犯人のくせに、えらく被害者ぶった口調はなぜに?と思っていましたが、まあ、本人が自分の居場所を得るためと言っていたので、そうなのでしょう。半分自業自得(家出して娼婦をしたのは自分の責任)で、あとの半分被害妄想入ってんじゃないの?というのが、私が考える動機なのですが・・・。自分の思うように、ありのままに生きている人間なんてなかなかいません。みんな、もがきながら生きていると思います。本来自分が向き合い、克服していくべきもの・・・例えば娼婦であった過去や、夫婦生活が送れないこと、弱い自分・・・といったものを、他人を殺すことで無いものにしてしまおうというその腐った性根が気に入らない。というわけで、アンチ茜さんな私です。織作家自体が異常な一族だということはわかってますし、それぞれ父親が違う生い立ちもかわいそうだとは思いますが。なんか、卑怯だよね。
視線恐怖症もどないやねんと思いましたが、葵の殺害シーンが一番インパクト大でした。首絞めながらぐーるぐる回るって・・・。どんな怪力なの・・・。あっけにとられました。笑。あと、今回の京極堂さんのウンチクは、キリスト教と男女差別について(ジェンダー論?)。男女の格差・・・自分も考えたことがありますが、今は男と女だけじゃなくて、色々な立場の人がいて、なるべく他人の立場を尊重しあいながら仕事ができたら良いなあと思います。きれいごとです。
ラストと冒頭の桜が舞い散るシーンはとても良かった。美しい。
それにしても、ドアが2つ以上ある部屋って嫌だなあ。茜さんの部屋にいたっては、ドアが8つあるっていう・・・。いらんいらん。笑。


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