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読書の記録です。

「小説以外」

恩田陸/新潮社

本好きが嵩じて作家となった著者は、これまでどのような作品を愛読してきたのか?デビューから14年間の全エッセイを収録。本に愛され、本を愛する作家の世界を一望する解体全書。

恩田さんのエッセイを読むのは初めて。
まえがきで書かれているように、読書絡みのエッセイを引き受けられることが多いため、恩田さんの作風のルーツがちょっと垣間見えたような気がしました。
私は、世の読書家のみなさまと比べて、本を読むのが遅いなあと日々感じています。そのくせ、ちょっと違うジャンルに手を出してみたり、あれが読みたい、これが読みたいと欲ばかり膨らんでどうしようもない人です。それが、このエッセイのおかげで、もっと膨らんでしまいました・・・!どうしよう・・・!うれしいんだけど・・・!紹介されている本は、恩田さんの巧みな解説によって、魅力を引き出され、私の想像をかきたてます。特に、海外のSF作品が多い印象を受けました。ああ、「ねじの回転」「ロミオとロミオは永遠に」は、こんなところから影響を受けていたんだー、と感心。気になる本は、ノートにメモメモしておこうと思います。
どこかで、「作家になるには最低でも1000冊は読んでおくべきだ」という話を読んだことがあります。逆に、作家に限らず役者さんやミュージシャンでも「影響を受けるのが嫌だから」という理由で、あまり他者の作品に触れない方もいるそうです。しかし、オリジナリティは、模倣から生まれるものだと思いませんか?それが、すでにあるものなのか、そうでないものなのかを知ることは、とても大切です。また、新しいものだけではなく、使い古された手法も人々に愛されている。・・・脱線?えー、まあ、だから、こんな風にあれに影響を受けた、これが発想のきっかけであるとわかると2倍おいしいのです。そんな意味で、とても楽しい本でした。
製作秘話を読むと、あれやこれや、読み返したくなりますね~。やっぱり文庫を買おうかなあ。


「読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。」


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「荒野」

桜庭一樹/文藝春秋

恋愛小説家の父をもつ山野内荒野。ようやく恋のしっぽをつかまえた。人がやってきては去っていき、またやってくる鎌倉の家。うつろい行く季節の中で、少女は大人になっていく。

桜庭さんの初期作品はいつか読みたいなあ、と思っていたところでした。こちらは、「荒野の恋」第一部と第二部を加筆修正したものに、書き下ろしとして第三部を加えたもの。残るは、「赤×ピンク」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「推定少女」・・・かな。
主人公、山野内荒野は、黒髪のストレートロングに黒縁の眼鏡をかけた地味な女の子。・・・そして、巨乳。普通なら、非モテになりかねない標準装備ですが、彼女も彼女の友人もモテます。・・・納得いかない・・・。まあ、そんな私のひがみは置いておいて。そんな荒野が初恋に落ちる物語。相手は、父親の再婚相手の息子・悠也。同じ屋根の下で破廉恥な・・・!と思いきや(中学生男子と同レベルの思考)、悠也はアメリカに留学し、帰国後東京の高校に。2人は、月に何回かの逢瀬を楽しむのです。このデートの様子が初々しくて、私も鎌倉デートがしたくなりました。ロンリー。1人ものに、こいつはきついぜ。父・正慶さんは、こんな2人の関係に気づいていた様子ですね。さすが恋愛小説家。父の方が鋭い。このお父さんが、私は好きでした。自分の娘のことを「黒猫ちゃん」と呼び、娘からは蜻蛉のようなと評されるつかみどころのないキザなおっさん。母性本能をくすぐるタイプっていうのもありますが、こんなあやうい感じの人に女性は弱いのかも。ハングリー・アートという言葉がありましたが、何か大事なものを犠牲にして、凡人にはできないものを作り上げている人って、やっぱり憧れますからねえ。
恋の甘くてふわふわした側面からではなく、苛立ちや嫉妬心、戸惑いなど負の側面から捉えたところが桜庭さんらしいなあと思いました。恋のしっぽをつかまえた荒野は、最後、安定期に入ったかのように見えますが、ところがどっこいですよ。倦怠期とかあるからね!遠距離は危ないからね!?と嫌味なことを考えてしまった私です。2人は、うまくいきそうですけど。うまくいったらいったで、大変という・・・。
思い返せば、ずっと物語の中の若者に嫉妬していたなあ。まぶしすぎるぜ。ダメ男の正慶さんを取り巻く愛人たちの心情にシンクロできるか、といえば、そうでもないんだけど。笑。
最近、ガールズ・ラブを良く見かけます。ダ・ヴィンチでも特集してたし。GLはストイックな感じがして、少し、憧れもありますが、好きになろうと思って好きになれるもんでもないしなあ。やっぱり、よくわからないです。笑。
そうそう、最後に一つ、名言を紹介しておこう。


「スレンダーは秀才。巨乳は天才。」


「弱法師」

中山可穂/文藝春秋

かなわぬ恋こそ、美しい。能をモチーフに現代の不可能な愛のかたちを描く、著者初の中篇小説集。

「弱法師(よろぼし)」は、能の曲目で盲目の乞食、俊徳丸の物語だそうです。ということは、表紙の能面は、盲目の少年を表したものなのかな?ネットで能面見たら、めっさ怖かった・・・!夢に出てきそう・・・!
では、各話ごとの感想を。
「弱法師」。医師の鷹之は、治療が困難な脳腫瘍の患者・朔也と母の映子に出会う。親子に魅せられた鷹之は、彼らと共に生きることを選ぶが、朔也の病状は悪化してゆく・・・。映子さんの妖艶さよりも、朔也の危うげで儚い脆さのほうが恐ろしかった。無機質なんだけど、粘着質・・・?獲物は、捕らえたら離さない!ゴキブリホイホイのような子だねえ・・・。絶望しているのに美しいのは、海に降る雪のせいだろうか。
「卒塔婆小町」。作家の高丘は、墓地で1人の老婆と出会う。老婆は、業界で伝説と言われた作家、深町遼の担当編集者だった。深町さんのストイックさは、いいなあと。だから、ここまで熱烈に愛される百合子さんが、うらやましい~。女性しか愛せない彼女が、彼にそこまで肩入れしたのは、性別を越えた愛があったんだろうなあ。決してバイセクシュアルに目覚めたわけではないと思いたい!笑。
「浮舟」。父と母、そして叔母。3人の間には、過去に何があったのか。母の死をきっかけに、過去が明らかになる。一番好きな作品。薫子おばさんが男前でねえ。かっこよかった。だから、薫子さんと母が昔恋人同士だったと聞いても、まったく違和感を感じなかった。寝取るのも、どっちも好きっていうのも、心を奪っていくのも、みんなずるい。3人ともずるいことしたんで、おあいこだな、と勝手に決着をつけた。1人の人をずっと好きでいるって、どういう気持ちなのだろうと思うと、甘く苦しい心地がした。碧生もこんな気持ちだったに違いない・・・。
静かで、美しい言葉が散りばめられている物語。しかし、怖いです。輪郭は見えないけれど、そこに潜むなにかが、怖い。


「でも、わたしはいつもあなたのそばにいる。」


「セキガンのアクマ」

榊一郎/富士見書房

ネリンは気づいていた。トリスタン市の魔族災害は確実に減っている。それは良い事なのだ。しかし、何かを見落としている様な不安が脳裏を過ぎる。その頃街にいたレイオット達は、美術学校で彫刻を専攻する少女ノーラに出会う。

前作を読んだのが、ちょうど2年前だったようです。そりゃあ、色々と記憶も飛ぶってもんさ!・・・アルフレッドって誰だっけ・・・?とまあ、今作の核となるアル坊やを覚えていないひどい読者です。すいません。
一方、新キャラも登場しています。カペルさんと同種のマイペースオーラを醸し出しているノーラさん。類は友を呼ぶっていうか・・・。きっと2人は仲良くなれると思うよ!うん。
あとは、裏でちょいちょい暗躍している超越者の存在。コルグ老とギルバート・ギブスン組とロミリオ組とに分かれているみたいな感じ。ロミリオ組は、この世界を征服(滅ぼす?)しようとしていて、コルグ老組は、「いやいや、それは間違ってるんじゃないの~?」というスタンスのようですね。この、ギブスン青年も前に出てきていたみたいなんですが・・・。思い出せない・・・。
レイオットとカペルの関係も、今のまま・・・ではなく、最後に向けて変化していきそうな予感がします。なるべく、いい方向に変わってくれるといいんですけどねー。
冒頭の妊婦の大量生産が、最後にそうつながってくるか!というラスボスでした。あの、ポコポコ魔族が生まれてくる絶望感がいいですねえ。しかし、妊婦の生産には無理があると思うの・・・。排卵の周期って個人差がある上に、処置後、すぐ閉じ込めてしまうわけだよねえ。開けたら、妊娠してませんでしたーっていう結果の方が多いと思うんだけど~。リアルなつっこみはタブーと思いながらも、ついつい・・・。


「DクラッカーズⅣ」

あざの耕平/富士見書房

カラオケボックスで奇妙な共同生活を続けながら、景たちはセルネットの本拠地を探していた。目的は、葛根市を混乱させている三人のBを、ひいてはその背後にいる“女王”をとめること。闘いの準備を進めながらも、梓は二度と景の側を離れないと決意する。

これまた、だいぶ前に読んだなあ・・・(遠い目)。
甲斐と景の陣営が一時的に手を組んだことで、セルネットはちょっと不利な流れに。まあ、もともとセルネットというかファーストセルの目的が「王国」の建国なので、目指すところが違うと言えば違うのか?そもそも王国ってなんぞや?という疑問があるわけですがー。今回は、「カプセル」についての種明かしがベルゼブブからなされています。あー、悪魔ですか、そうですか。そうだね、悪魔はなんでもできるもんね。
ベリアルが死んでしまい、残るBはバールとバジリスク。バールは人格が崩壊してしまったとは言っても、ベルゼブブ・ベリアル・女王と3人の人格を宿すのは大変そうだなあ・・・。彼らもいい年(20~23くらい?)なのだから、お遊びも大概にしときなさいよ、という気持ちになってしまいます。母の気持ち?葛根市限定というスケールの小ささも相変わらず。舞台がワールドワイドに広がればいいというわけではないのだ。(ネットが活用されていない感は否めないが)なんだか、主人公たちが立ち向かう壁が、あまりにも薄っぺらく見えてしまうのだ。こんだけ頭数揃えてるんだから、もっとぱーっとやればいいのに。なにカッコつけてんだか。
少年・少女向けの活劇では、大人は愚かで世界のことが見えていない。けれど、大人だってがんばっているんだ。世界は君たちのものではない。それこそ、ドラッグによる錯覚だ。
うーん、今回は辛口になってしまいました。あと3冊、クライマックスまで、どうやって私を盛り上げてくれるのか・・・。
Dクラシリーズは、どうやらご近所の本屋から撤去された模様・・・。時の流れは速いなあ。