「トオリヌケキンシ」
人生の途中、はからずも厄介ごとを抱えることになった人々。でも、「たとえ行き止まりの袋小路に見えたとしても。根気よく探せば、どこかへ抜け道があったりする。」他人にはなかなかわかってもらえない困難に直面した人々にも、思いもよらぬ奇跡が起きる時がある。
「無菌病棟より愛をこめて」を読んだときは衝撃でしたが、作家活動を再開されたようで良かったです。やはり、大病を患われたことで思うところがあって書かれた作品なのかな?と思いました。(2話目以降が復帰後の作品?)
「トオリヌケ キンシ」帰り道、いつもと違う道を抜けた先はクラスメイトの庭先だった。彼女にからかわれながらも、2人は交流を深める。そして、年月が経って・・・。いい話なんでしょう。かつてのクラスメイトが引きこもりの僕を迎えにきてくれた!いい話!・・・でも、それだけ。無味乾燥。
「平穏で平凡で、幸運な人生」小さい頃からの不思議な感覚。それを先生は共感覚だと言った。大人になって家庭を持った私は、誘拐事件に巻き込まれる。そもそもが、先生と教え子のカップルはトリハダが立つほど嫌いな今日この頃なので、アウト!な話でした。
「空蝉」優しかったお母さんは、ある日突然変わってしまった。友達と僕とで変わってしまったお母さんをやっつけたあと、別のお母さんがやってきた。それから数年、新しい母も豹変する・・・。申し訳ないけど、なんじゃこりゃ?と思った。実際に脳の病気がどのような人格の変化をもたらすのかは知りませんが、謎解きのキーとして病気を使うのはダメでしょう。なんか他にも色々ご都合主義がてんこ盛りです。
「フー・アー・ユー?」僕は人の顔が認識できない「相貌失認症」。ある日、僕は女の子から告白され付き合うことになる。しかし、彼女は自分の顔が醜くみんなに笑われていると思っている「醜形恐怖症」だった。おのろけの話でした。「お友達からお願いします」はかわいい!まあ、眼鏡外したら美人なんてファンタジーだけど・・・。眼鏡をかけても美人。外しても美人。それが真の眼鏡美人。
「座敷童と兎と亀と」近所の老夫婦・亀井さんの奥さんが急死した。その後、おじいちゃんが私の家を訪ねてくる。なんと、家に座敷童がいるというのだ。まあ、これもめちゃくちゃな展開ですが(一度も会ったことのない義父の家に子供を黙って置いていく母親なんて、ろくなもんじゃないね!どんな事情があるにしろ。)、ババーズの面々に主人公のおばちゃんの奮闘ぶりがたくましかったので、楽しめました。あと、場所取りの男どもの頼もしさといったら!かっこいいぜ!
「この出口の無い、閉ざされた部屋で」白血病を患い、大学受験を断念した主人公。時々たずねてくる友人、病院で知り合った女の子。彼らとの交流を通して、もう一度希望を取り戻す。無菌病棟での交流を描いた作品。主人公は明晰夢を見る訓練をしていて、その最中今までの登場人物が突然登場したりするのも脈略がなく、意味がわからなかった。女の子はかわいそうでしたね・・・。
他の方の感想を流し読みすると、みなさん感動されているようですね。私は期待してただけにだいぶがっかりしました。いい話だったけど、「病気」というエッセンスを取り除いたら何も残らないような気がしました。登場人物がどれも似たような感じで、生き生きしてないというか・・・。加納さんってこんな味気のない作品だったっけ?うーん・・・。次に期待したいと思います。
正直に書きすぎたかなあ・・・。私、すごい人でなしみたいだなあ・・・。
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