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読書の記録です。

「「自分」から自由になる沈黙入門」

小池龍之介/幻冬舎

語らない。「ドウデモイイ」と念じる。欲望がスッと消える。不自由な自意識から解放される、修行僧的生き方のすすめ。

仕事で、どうしても合わない人がいます。最近仕事が終わるたびに「もう無理だ・・・。もう無理だ・・・。」と念仏のように唱える毎日。できれば、私もイライラしたり、怒ったりしたくない。余計なことにエネルギーを使いたくない。本屋でふと見かけて、「何か変わるヒントがあるかなあ・・・。」と手にとってみた次第。
本書は、仏教の考え方に則って、日々の欲や怒りなどを減らしましょう、というメッセージが込められています。なぜか、語り口調が昔風でかなり読みにくいです・・・。私が共感した部分は、「小匙一杯分の自分」と「お嬢様ことばのすすめ」「他人事で何が悪い」ですかねー。その、合わない人っていうのが、人一倍自己顕示欲の強い方で、常に「私が、私が」って感じなんです。見苦しいし、話をしても常に上からの目線なので、しんどいし。この「小匙一杯分の自分」を読ませてあげたい。それ、うるさいんだよって。笑。関連して、その興味のない話をいかに早く打ち切るか、というヒントが「お嬢様ことばのすすめ」。気のない相槌を打つってことなんですけど。それはすでに実践しているのですが、もっとおもしろい話がありそうだ!品の良い皮肉をこめた返しができるようになりたいのです。
自分の感情を客観的に観察し、それを受け入れて消化していくことが、怒りのループを防ぎ、欲や怒りなどの感情のダイエットにつながるらしいんです。私も、自分を俯瞰するように努めているのですが、怒りを観察するのは難しいですね!苛立ちくらいなら「あー、今イラついている。なぜだ?」と一歩立ち止まることも可能なのですが、怒りは「ムカつく!」と暴力的な感情に支配されがちです。嵐がすぎるまでは、客観的な観察は無理。
この本は、あくまで仏道の立場からの考え方で、私もすべてを鵜呑みにする気は毛頭ありませんが、実践していることが、わりと間違った方向ではないことが確認できたかな、という感じです。
最後に、修行の実践は私には無理だわ。笑。


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「紅牙のルビーウルフ 6」

淡路帆希/富士見書房

陸路を使い帰国の途についたルビーウルフたち。たどり着いた砂漠の国境で、一行は何者かの魔法攻撃で離れ離れになってしまう。お荷物エミリエンヌと二人きりという貧乏くじを引いたルビーウルフ。そんな彼女に、さらなる試練が降りかかる。

5巻の感想で「あとひとやまで終わらなければ、読み続けるのは厳しいかも」って書いたけど、本当に終わるとは思っていなかったので、びっくりした。・・・私が呪いをかけたみたいじゃないか・・・。
毎回、世界観に疑問を持ってて、いちゃもんをつけてる私ですが、今回の謎解きは良いと思います。他にも神というか、そういう存在がたくさんいて、ロゥヴァースが仲間はずれだったという設定が好きです。私は小さい頃、自分がミニチュアの世界の人間で、この世界を見下ろしている巨人がいたらおもしろいなあと思っていました。なんだか、それにとても良く似ている!そのせいか、ロゥヴァースのすごくわがままな部分から出来た世界だけど、その成り立ちがすごく良いなあと思いました。そんな感じで、神様とも折り合いがついてめでたしめでたし、なんですが、国を治めるためには神具が必要だということで・・・。神具欲しさに小さい子をまるめこんだ感はありますが・・・。神具が無いと成り立たない政治って・・・、とか。導きの剣で山を切り開くとか無理だろ・・・、とか。海に出たからって傾きかけた財政はなんともならないだろ・・・、とか!つっこみだしたらきりはありません。笑。いやー、ケチばっかつけて、すいませんでした。わんわんコンビの出番は少なくて残念だったけど、おもしろかったー。
確信犯的に、ラブ模様については触れません。ジェイド、グッジョブ!とだけ。笑。あと、みんながみんなカップルになる必要なんてないんだよー、と。
最終巻と銘打ってますが、なぜか短編集の7巻が出ています。6巻で完結なら、なぜ短編を7巻で売り出すのだ・・・?


「行ったらね、言うんだ。『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』って。」


「オチケン!」

大倉崇裕/理論社

大学に入学して早々、廃部の危機に瀕した落研に入部するはめになった越智健一。そこで待ち受けていたのは、古い部室と、風変わりな二人の先輩だった。勝手な先輩たちに振り回され、ろくに授業も出られず、サークル間の陰謀にも巻き込まれる。抱腹絶倒の連作落語ミステリー。

大倉さんは、「七度狐」でも落語を題材にしたミステリーを書かれています。落語ミステリーを読むたびに、落語とミステリーの相性は抜群だね!と思うのです。今回も、その思いを強く感じました。付録として、大倉さんが連載されていたコラムも載っているのですが、ミステリー愛と落語愛が満載で、おもしろいですよ~。私も「獄門島」は大好きです。嬉しいな。YA!シリーズということで、ヤング世代(おそらく中学生)くらいがターゲットなのかな?このシリーズは、これが始めてなのですが、ミステリーランドよりは、とっつきやすい感じがします。本当に読みやすいし、さらりとしていて読後感も良い。大学生活って、こんなにいい加減・・・もとい、こんなに楽しいんだ!と夢もふくらむかも。
越智健一が「落研」に入部って。ダジャレじゃないですか!いいんですか!大学のサークルで部員2人っていうのは、かなり弱小ですよね・・・。岸さんの「~だよう」しゃべりが、もんのすごくツボにはまりました。笑。かわいい。
主に登場する落語は、「寿限無」「時そば」「長屋の花見」「どうらん幸助」。落語の話がモチーフになっている、というよりは、落語そのものが事件を解くカギになっています。そんなこと知らなかったな~。というネタがポイントなので、2重の意味で「へえー」って関心してしまいました。
噺家さんによって、落語の演じ方は全く違ったものになる。お、おもしろそう・・・!今、いろんな落語を聴いてみたくて、うずうずしているのですが、今やるべきことが終わるまでは、おあずけなんだなー。今がタイミングなのになー。ちぇっ。


以下、寿限無の子供の名前を覚え書き。な、長いなあ・・・!
「寿限無、寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶら小路ぶら小路、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコナー、ポンポコナーのポンポコピー、長久命の長助」


「十月は二人三脚の消去法推理」

霧舎巧/講談社

十月。霧舎学園の秋の行事第一弾は体育祭。琴葉と棚彦は体育祭実行委員に据えられる。準備の真っ最中の本番一週間前、校内で不審火が発生。パソコン教室のメールに残された「十月十日の殺人」との関連は?

今回は消去法推理がテーマです。あんまり、消去法推理モノって読んだ記憶が残ってないんだよなあ。外堀から埋める感じ?これぞ、ミステリの謎解き!って感じで。意外なところから、犯人を持ってきたかっただけじゃないの~?という考えが、毎回ちらりと脳裏をかすめるんですが、今回は論理的で良かった。学園ラブコメにふさわしくない、ドロドロした動機でしたが・・・。
毎回、霧舎学園ミステリ白書に関する伏線が出てくるんですが、全く活用できていない私・・・。学園見取り図も、おまけのプログラムすら、活用できない子です。流されるまま。白書を作って図書室に並べることに、何の意味があるんだろう?すべてが揃ったら、何かのメッセージが見えてくるのかなあ・・・。
ちょうど、少女マンガにはまっている時期だったせいか、全然ラブコメじゃないよ・・・って感じました。ちょっとヤキモチ焼いてみました、程度。振り返れば、前作(九月は~)も、ラブコメは停滞気味だった模様なので、もしやこれはマンネリ化?伝説達成前に倦怠期カップルに!?四月では、出会いがしらにぶつかった拍子のキスなんていう化石もののネタを披露していたのにー。
八重ちゃんって誰だ!いや、いたのは覚えてるんだけど、事件を忘れてしまったー。痛恨のミス!次は文化祭で、見立て殺人か~。琴葉ママは、いい加減子離れをするべきだと思う。・・・うっとうしい・・・(ぼそっ)。


「刀語 第一話」

西尾維新/講談社

伝説の刀鍛冶、四季崎記紀がその人生を賭けて鍛えた12本の“刀”を求め、無刀の剣士・鑢七花と美貌の奇策士・とがめが征く!第1話の対戦相手は真庭忍軍十二頭領が1人、真庭蝙蝠!

「魔法少女りすか」の3巻もまだ読めてないやー。12ヶ月連続刊行なんて、買ってられるか!って感じで、刊行が始まる前から買う気ゼロ。あらすじを読んでも、キャンペーンをみかけても、すごく読みたいという衝動に駆られることもなく、図書館で見かけたから読んでみようかなあ、というスタンスが変わりませんでした。そして、完結後に読み始めてます。
読み終わって・・・。西尾さんにしては、ごくごく普通でした。うん、買わないで良かった。笑。今後の展開で気になるポイントは、刀を使わない虚刀流が、これから先どのような技の広がりを見せるのか?というところかな。ところで、刀の名前がぱっと読めないんですが・・・。なぜ、そんなところでつまずかなきゃいけないんだ、って箇所で止まると本を読むテンポが狂うんだよなあ。
なんか、「戯言シリーズ」の時にも感じた、大げさだなー感がひしひしと伝わってきます。こちらの最強基準はどんな感じになるのでしょうか。「惚れていいぞ」って、ねえ・・・。ねえ・・・。それ、どうよ。ドン引きだよ。熱狂的に西尾さんの作品が大好きだった時期は過ぎて、冷静に作品を観察することができています。それ以外にも、西尾さんの作風も変化していて、私の感性も変わっていて、それがうまく合わないという要因もあると思います。だから、前みたいに楽しめなくなってきているのかなあ。無条件に大好きな作家さんだっただけに、これは少し悲しいかもしれない。と今感想を打ちながら考えています。
もひとつ、ひたすら残念だったのが、イラストレーター竹さんの絵が変わりすぎていたこと。デフォルメしすぎだよう・・・。